Saigon生活

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お葬式3
 さあ、翌金曜日。

またまた10時頃おばあさんの家へ。

お棺の前に序列順に並びます。

お棺
長男 次男 三男
長女 次女  三女
四女
以下孫たち(適当に)

お坊さんの読経の合間に「チーン」と鐘がなると
一斉に頭を下げます。
(お坊さんの袈裟に穴が空いていてちょっと可笑しかった)

この日はキーボードも出現。
場が盛り上がってひと段落すると、お棺を完全に釘を打ち込みます。
このとき、現代曲を楽団が演奏して最高潮に盛り上がりました。
まるで映画のワンシーンのような・・ビデオ撮影しているからでしょうか。

おばさん達は滂沱の涙。。
それから棺を台からおろして外へ運ぶとき、現実にけろっとかえって
わあわあ、ああでもないこうでもないと大騒ぎしなががら外に出しました。
 
棺を無事外に出すとそのまま一族+近所の人たち
(おじいさんと面識のない人もいると思われる。そのくらい人が多かった)
で棺を霊柩車に収めるまでついていきます。
もともとは土葬なので、お墓まで行って土に埋めるんだそうです。

このとき、またお坊さんの読経と礼を繰り返し、
子ども達の一部(おそらく息子達)残りはバスに乗り込みます。

大型3台でいきましたがすでに近所の人たちが乗り込んでいて、
われわれの席がない!!オイオイ・・。
バス会社のひとが水やらバインミー(フランスパンサンドウィッチ)を配るんですが
足りなかったり席がなくて2人がけを3人でシェアしたり・・大騒ぎです。

しばらくしてちょっと郊外に出るると人数が多いので霊柩車のみお寺へ立ち寄りました。
しばし休憩。サトウキビジュースをかったりのんびり待ちます。

霊柩車が戻ってくると火葬場へ出発。
火葬場でまたひととおり読経をあげ、いよいよおじいさんとさよなら。
これが本当の最後、涙が止まりません。

そこへ火葬場の人がやってきて、
「今日は夜にならないと火葬できません」
おいおい、予約してたんじゃないのかい・・。

仕方ないのでおじいさんだけ置いて我々は引き上げます。
翌日息子達がお骨を引き取りに行くということになりました。

盛り上がり→現実世界への切り替えがものすごく早くてびっくりです。

あとはわいわいガヤガヤ遠足のような雰囲気でまたおばあさんの家に帰りました。
しんみり・・という雰囲気はなかったなあ。
おいおい泣くか、わいわい賑やかに過ごすか。

日本のような「厳粛」「厳か」「神聖」「しんみり」「静けさ」というのは全くないですね。
ベトナムに住み始めて、今までに経験したことがありません。

北部に行ったらあるのかもしれません。
北部は雪こそ降りませんが極寒の日もあるそうで
気候が違うことから人の気質もだいぶ異なります。

経験したことがあるひとがあったら話を聞いてみたいです。


| babatman | ベトナム文化 | 08:23 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
お葬式2
お葬式1 の続きです。

 おじいさんが亡くなったことが分かると、すぐ上司にTEL。
ベトナムはお葬式が数日間に渡ります。

知り合いのお葬式に行ったことはあるし、近所でもお葬式がありましたので
どういう感じなのかは知っていますが、実際のところ何日目に何をして
どんなしきたりがあるのかはわかりませんし、その家の経済力や家風によっても
違うでしょうから、その時点では今後の進行については全く先が見えていませんでした。
そして旦那さんも。

とりあえず翌日は朝10時頃に同居の妹らとおばあさんの家に行きました。
おじいさんは老後は長男の田舎の別荘に住んでいたので
実際はおばあさんの家になっていました。

到着すると、既にお葬式真っ最中。
ベトナムの伝統楽器とギターの生演奏も
鼓膜破壊される一歩手前の大音量のアンプ付バックミュージックに
ビデオ&カメラ撮影。
カメラマンは私達の結婚式のカメラマンでした。

おじいさんの誕生日と縁回りのよくない干支というのがあって
縁起のよくない干支生まれのひとは敷地の外で待機。
私がそうだったので、旦那さんと息子のみ家の中へ。

おじいさんは既に棺に納められていましたが、最後に釘を打ちました。
お昼ごはんにお弁当を注文して午後2時頃帰宅。

旦那さんはその夜、番をするためまたおばあさんの家へ。
24時間体制で客を迎えるため複数交代で待機。
また、弔問客が礼をしたら、同じ動作で礼を返さないといけないそうです。
ベトナムの弔問礼は人によりますが
起立→跪いて礼×3回
または
跪いたまま3礼
です。

お葬式はまた結婚式以上に弔問客が多いのでかなりの重労働になりますね。

翌日は一度午前中お手伝いさんのバイクで会社へ。
1階でお手伝いさんと息子に待機してもらいました。
その間社長やら現地スタッフやらが色々相手してくれていたようで、
息子は非常に楽しかったようです。

1時間くらいで帰るつもりがあっという間にお昼の時間。
そこそこに切り上げて、途中でパンを買って帰宅。

しばらくすると旦那さんも帰宅しまずは大事なお魚さんの世話をして
買ってきたパンを食べ、爆睡。

私は仕事半分息子の相手。

翌日はどうしようかな、どこかへ遊びに連れて行こうかとも思いましたが
午前中におばあさんの家に行くかもということになりとりあえず遊びに行くのは却下。
結局前日夜からまた旦那さんが寝ずの番だったため、午前中は
スーパーへ買い物へ行き、午後夕方からおばあさんの家へ。
お手伝いさんも一緒にタクシーで行きました。

ベトナムも町内会があるようで(恐らく公安管轄)、
そこで炊き込みがあり弔問客や家族に結構なご馳走をお葬式の間中出してくれました。
かなりおいしくてびっくり。

このあたりにななるとあんまり涙涙はなくて久しぶりの再会を喜び近況を報告し合い・・
男性客にはウィスキーも出すし宴会状態です。ビールはなかったような・・
ビール=吉事にしか出さないのかもしれません。命日には飲んでますけどね。

義母はお線香の煙と話し過ぎでのどがガラガラ。
9番目のおばさんがいつもガラガラ声なのですが、
義母のガラガラ声を聞いてああやっぱり同じ姉妹なんだと思った次第。

さあ、翌日金曜日の朝はいよいよ出棺です。

車をきれーいに並べて・・・

あっ、お父ちゃんが倒れてる!!
旦那さんの通勤服は青でヘルメットは黄色。

ピースまたつくるの大変だから・・右手は維持しつつ左手で並べなおし。

ああ〜お父ちゃんが倒れたまんまだよー

下から観察してみる。

あのー、いい加減にお父ちゃん救出してあげてください・・・

| babatman | ベトナム文化 | 13:21 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
お葬式1
ご無沙汰しております。

2月は本当にいろいろありました。

まず、1月末頃から入院した主人の母方の祖父、おじいちゃんが亡くなりました。

いつだったか緊急で入院した心臓関係の病院、前回と同じ救急病棟。
ここはほとんどがお年寄りでずらーーーっとベッドが所狭しとならべられ
家族は決まった面会時間のみ立ち入り、その時間に食事を家族がさせます。
そう、ベトナムの病院は入院時のケアはすべて家族がするのです。
食事、手洗い、身体を拭くなど・・。前回も今回も親戚のおじさんが付き添いました。
付き添うといっても、救急病棟の場合部屋の中に付添い人が常駐することはできません。
面会時間外は部屋の外(病院のロビーのようなところ、入り口はドアがなく外とつながっている
半分外のような場所に茣蓙を敷いて待機します。
患者がお手洗いをしたいなど何か要望を医者や看護婦に告げると、
中から鍵のかかったドアを開けて患者の家族を呼び対応させる、と言うシステム。
普通の入院のときは常駐できますが、その他同様すべて家族がケアするので大変です。

入院当日の朝、ちゃんと自分で着替えをしていました。
だからまさか長期入院になるとは知らず、いつもの定期通院だと思っていました。
そしてこれがこーちゃんとひいおじいちゃんが顔を合わせた最後。

日曜日、夕ご飯を届けにだんなさんと一緒にお見舞いに行きました。
ベトナムの病院は戦時中かと思うような雰囲気で、とてもではないけれど
子どもは連れて行けません。悪い菌に感染するといけないので。
というわけでこーちゃんはお留守番。

翌月曜日の夜、定時に上がって急いで帰宅すると
お手伝いさんがこーちゃんとお留守番。
容態がいよいよ悪化して義妹も病院へ直行するとのこと。

夜9時頃、だんなさん帰宅。
その時だんなさんがお義母さんと電話で話し、おじいさんが亡くなったことを知る。

最後の様子はなかなか聞くチャンスがなくて(その週はずっとお葬式だった)
翌週落ち着いて義母に聞きました。

その日の夜7時半頃、いよいよお医者さんに最後と告げられ、
別室に移動。

おじいさんは自分で死を察して、お義母さんに
「お父さんはもうすぐ死ぬよ」と言ったそうです。
お義母さんが「またおうちに帰ってこーちゃんと遊びましょうね」
と言うとやさしく笑ったそうです。

そして8時半頃義母はじめ駆けつけた子どもや年の大きい孫らに囲まれて
永遠の眠りについたそうです。
7時半頃、私はちょうどシャワーを浴びようと蛇口を開けようとしたら、
部屋にいるこーちゃんのぐずる声。
ドアを開けて覗くと(部屋の中にシャワー室があります)
こーちゃんがシャツがうまく脱げず苦戦していました。
本当は昼食後にシャワー浴びていて
夜はシャワー不要なんだけど時々一緒に浴びたがります。

仕方ないのですっぽんぽんのままこーちゃんの服を脱がせにいきました。
ここでふっとおじいさんのことを思い出し、
「おじいさんにこの姿見られたらずいぶんおかしな光景だな」
と思ったんですよね。

なんとなくこのときのことが記憶に残っています。

亡くなった翌日からお葬式です。
ちょうどなくなったのは旧正月の明ける旧暦正月15日だったそうです。
「おじいさんはちゃんと、息子(だんなさん)とあなた(私)にも会って、それから
ちゃんと15日になくなったのよ。よくわかっていたのかしらね」
とお義母さんが言っていました。

出棺の吉日は翌日または3日後の2候補あったそうです。
お葬式で吉日というのもおかしな言い方ですが、
縁周りの良い日というのをお寺が割り出します。
これは結婚式やお店の開店日なども同様にお寺に吉日を見てもらいます。
翌日では準備する時間があまりないので3日後になりました。

お葬式はやっぱり日本とは趣の違うところが色々あり、貴重な体験でありました。
次回に続く。

最後に1月旧正月明けのこーちゃんをお届けします。


| babatman | ベトナム文化 | 07:57 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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